絵馬額一面

絵馬額一面
本絵馬が奉納された宮崎神社は、毛利氏が安芸吉田の地に入部して間もない観応元(1350)年、毛利師親(元春)によって関東から勧請された。以後毛利氏の氏神として代々にわたり崇敬された。この絵馬は、慶長5(1600)年8月、毛利輝元・秀就を大檀主として同社本殿を新造した際に、作事奉行井上太郎兵衛元豊が連歌二百首と共に奉納した。大型で節一つない一枚板に墨一色で大胆に馬を描いている。鼻先から柱に繋がれた朱色の網が構図をよくまとめている。墨書にある「癸丑御歳」は干支年で癸丑=天文22(1553)年生まれの毛利輝元を意味する。奉納された8月は、9月15日に始まる関ヶ原合戦の直前であり、この時西軍の総大将として大阪城にいた輝元の「武運長久」を祈願、同社の社殿再建とともに絵馬は奉納された。筆者名は記されていないが、江戸時代には雲谷等顔と伝えている。今のところ安芸高田市最古の絵馬である。しかし、近年の調査では、墨書や絵画的評価から、近世に大幅に改変・補筆または別の図を元に復元的に写された可能性が指摘されています。当初の古材を再利用したものかを含め再検討が必要です。

旧所在地 吉田町相合
所有者等 宮崎神社
時代 慶長5(1600)年
法量 73.0 x 129.5
材質技法 板絵彩色

掲載者
関連HP