社額
社額
江戸時代の記録によると、永禄6(1563)年、当時毛利氏と大友氏が豊前で交戦中に将軍足利義輝の意を受け両氏和睦を仲介するため吉田を訪れた聖護院道増法親王が、毛利元就の所望により「感神院」を墨書したものと伝える。この文字の摩滅を防ぐため、その上を薄い銅板で覆っている。

旧所在地 吉田町吉田
所有者等 清神社
時代 永禄6(1563)年か
法量 104.4 x 81.5
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