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 この山門は、戦国時代末期、粟屋勝城主・三吉氏(後の粟屋氏)が菩提寺として創建した禅宗龍興寺にあったものである。廃寺を機に明治35(1902)年、当山門信徒の手で解体、この地に移築された。建築年代は享保年間(1720年ごろ)と考えられる。寛文5(1665)年造営の照林坊山門と同じ工匠の作との伝承があるが、時期的に50年以上の開きがあり、この説はにわかには信じがたい。

 四脚門で、定法どおり主柱は円柱、控柱は角柱、切妻造の桟瓦葺、軒は二重の懸垂木、内部の格天井には彩色の跡も残っている。
 規模は小さいが、多くの透かし彫りの蟇股(かえるまた)、その他装飾性豊かな肘木、木鼻等によって組み立てられ、近郷では珍しく華麗な建築物である。

◆場 所 安芸高田市高宮町羽佐竹
◆市指定 旧高田郡高宮町指定
昭和61(1986)年2月7日

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