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隆元逝去の地

 永禄6年(1563)、九州の大友氏と和議を結んだ毛利隆元は、出雲攻めの元就を援護するため遠征先の防府を出発、多治比を経由して佐々部の蓮華寺に帰着した。
8月3日、和智誠春(まさはる)の館(仁後城か)に招かれ饗応を受けたが、帰営の後、翌4日未明急逝しました。享年41歳。
死因は、食傷とも毒殺ともいわれていますが真相は不明です。。隆元はこの地で火葬され、郡山城内へ埋葬されました。後世に地元住民がここに石碑を建て、隆元の墓として伝わっています。

 

 

◆名 称
毛利隆元逝去の地
◆よみがな もうりたかもとせいきょのち
◆種 別 史跡
◆場 所 安芸高田市高宮町佐々部 式敷地区
◆市 指 定 昭和61年(1986)2月7日

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