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 明応9年(1500)、毛利元就が4歳の時に父弘元の隠居に伴い郡山城から移り、27歳で本家を相続して郡山城に戻るまでの青少年期を過ごした城です。郡山城跡から北西4kmに位置し前面を多治比川が流れ、本丸からは郡山方面を眺望できます。城跡は本丸のある中心部、山頂の物見丸、山麓の出丸などに分かれており、本丸の南側には多数の巨大な堀切があり軍事性の高さが際立ちます。なお、城跡の麓には毛利弘元の菩提寺悦叟院跡があり、夫妻の墓所もあります。

 

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