毛利氏関係ほか史跡・文化財
安芸高田の歴史・文化を、戦国武将・毛利元就にゆかりの史跡や、神楽に関するものなどにまとめて分かりやすくご紹介します。
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郡山城は毛利元就が生涯居城し、中国地方制覇の拠点とした城です。山全体を城郭化した山城で、本丸跡など数多くの遺構があり「史跡毛利氏城跡」として国の指定史跡になっています。 |
元就は城拡張の際に、それまでの風習であった人柱に替えて「百万一心」と彫らせた巨石を埋めたと伝えられています。その拓本を模刻し建設したものです。 |
元就の有名な逸話である「三矢の訓」の碑です。郡山山麓にあった御里屋敷、現在の少年自然の家敷地内にこの碑がたっています。 |
常設展示室では毛利氏時代の文化財の数々がご覧いただけます。 [住所]〒731-0501 広島県安芸高田市吉田町吉田278-1 [電話]0826-42-0070 |
元就の母の出身であった福原氏の居城跡です。元就誕生の城という伝承があり、その碑が建っています。 |
元就が青少年期を過ごした城として知られており、国史跡指定の毛利氏城跡となっています。 |
元就は1571年(元亀2年)に城麓の御里屋敷で75年の生涯を閉じました。その墓は、郡山城跡山麓の洞春寺跡に残されています。 |
| ---- 2010年04月26日 | |
毛利元就は安芸の小規模な国人領主から中国地方のほぼ全域を支配下に置くまでに勢力を伸ばした戦国時代の名将です。 |
■毛利隆元逝去の地(高宮町) |
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元就の嫡男隆元は、毛利家を継ぐ武将として期待されていましたが、尼子討伐戦の陣中で病により41歳の若さで急死しました。 |
郡山初代城主毛利時親から元就の祖父豊元まで8代の合墓、ならびに兄興元、甥幸松丸、隆元夫人らの合墓がならんでいます。 |
嘯岳禅師は元就によってこの地に招かれた高僧で、元就の菩提寺である洞春寺の開山となりました。 |
清神社は郡山の鎮守社として毛利氏の祈願所でもありました。数多く残された文化財や境内に立つ杉の大木など、歴史を今に伝える神社です。 |
毛利氏の寄進と伝えられる南北朝時代の名鐘です。広島県指定重要文化財に指定されています。 |
毛利氏に敗れた尼子氏の三兄弟がこの地に幽閉されていました。この墓は三兄弟に随従してきた重臣の墓といわれています。 |
■星ヶ城跡 |
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毛利氏の重臣の一人として毛利家を支えた星野氏(後の長屋氏)の城であったと伝えられています。この地に数多く残る山城跡のひとつです。 |
毛利氏と並ぶ名家であった宍戸氏が居城した山城跡です。宍戸氏と毛利氏は境界を接する宿敵同士でしたが、宍戸隆家が元就の長女をめとり、毛利氏と姻戚関係となりました。 |
第8代五龍城主、宍戸隆家は毛利氏に重用された武将です。毛利元就の長女をめとり、毛利一門として活躍しました。 |
第6代五龍城主、宍戸元家の墓です。 |
第7代五龍城主、宍戸元源の墓です。 |
宍戸隆忠を祠っている宍戸大明神を取り巻く林は森林の本来の姿を残しており、広島県の天然記念物に指定されています。 |
7代五龍城主元源が大永2年(1522)粟屋村大毘羅の壇から移して菩提所としました。 |
深瀬隆兼は宍戸元家の二男で、深瀬氏は宍戸氏の分家として活躍した一族です。尼子氏の郡山城侵攻の際には祝屋城に籠城して尼子勢を撃退しました。 |
第2代祝屋城主、深瀬家兼の墓です。 |
第3代祝屋城主、深瀬家良の墓です。 |
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京都の庭師清水七郎右衛門の指導を得て造庭。 [お問い合わせ]土師ダム記念公園 [TEL]0826-52-2841 |
鳥の声を聴きながら静かにお茶をいただくことができます。 [お問い合せ]土師ダム記念公園(サイクリングターミナル前) [電話]0826-52-2841 |
■西尾山八幡神社(美土里町) |
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■岩屋嶽(美土里町) |
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大きな銀杏の木が目印の敬覚寺は、大永元年(1521年)の建立。本尊の阿弥陀如来の中には秘仏が収められているといわれています。 |
■金屋子神社(美土里町) |
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広島県重要指定文化財 |
高林坊梵鐘(広島県重要指定文化財) |
広島県指定天然記念物 |
深瀬隆兼・隆家はこの地で尼子軍を迎撃奇策を持って撃退したと伝えられる古戦場です。 |
天文9年(1540)尼子氏吉田郡山の毛利攻めの時上小原山田蔭近山に、山口の大内勢が毛利氏援護に着陣、翌年下吉田に入り尼子勢を撃退しました。 |
山県弥三郎に首を取られたという。その岩が今も残っています。 |
祇園迫にあり、麻原氏は毛利元春の三男広内を租とする。 |
粟屋氏の居城 |
中村澄晴観音2(1351)麻原庄を足利尊氏より賜り延文2(1567)年築城来住す |
下小原内長見にあり、毛利の家臣、三上土佐守、その子豊後守、居住平壇及び井戸、馬場の跡残存す。 |
第6代五龍城主宍戸本家が永正元(1504)年築城す。 |
第8代五龍城主隆家墓所の天叟寺廃寺跡 |
五龍山麓にあって、昔は山中に涌き出ていたと伝えられています。 |
向原町戸島の戸島川東岸一帯にある古墳群の中で最大の古墳であり、一辺18m、高さ4.5mの方墳です。 |
「坂のこんぴらさん」として縁日には多くの参拝者で賑わった琴比良神社です |
真徳寺大仏堂に安置されているヒノキ造りの大仏です |
向原町戸島にある絶壁の上に建つ瀧山の観音堂で,堂の左峰より谷川に高さ10mの「観音の瀧」があります |
標高205mの地点で、平地の分水嶺としては極めて珍しいもので、泣き別れという名は、ここに降った雨水が南は太田川へ北は江ノ川へと泣いて別れたのであろうと物言わぬ水の心情を人々が推し量ってこの名が付けられたものです。 |
幕末広島吉田支藩主浅野長厚の居館である御本館の馬見櫓として建てられたものを、後に法円寺境内に移築したものです。 |
映画、演劇などで有名な「男の花道」の主人公眼科医の土生玄碩の遺徳をしのぶ碑です。 |
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| ---- 2006年10月10日 | |
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