鐙石(あぶみいし)
鐙石
鐙石に付属する「霊石畧記」(嘉永5:1852)によると、石見国佐波善四郎を攻める先陣を引き受けた毛利師親(のちの元春)が、江の川を渡る際に鐙石の奇瑞によって軍功をあげ、観応年間宮崎神社を勧請する所以となった旨が記されている。
「国郡志御用二付下調書出帳」(文政2:1829)では、貞治5年(観応元年の誤りか)同じく江の川を渡る際に、師親の鐙にこの石が三度かかったことで日頃信仰している八幡神の加護と思いこれを持って戦ったところ軍功をあげた。このことから戦いに勝利した11月1日には川通りといって餅で祝う習慣があることが記されている。
由来どおり表側に「八幡宮」、裏側に「牛頭天王」の墨書がみえる。



旧所在地 吉田町吉田
所有者等 宮崎神社
時代 南北朝
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