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 記録によると、「天正七年(1579年)六月 筑前の住 僧正庵新刻」の記銘ありと伝えられていますが、現在は、上顎内面を新たに朱漆が塗り直されており、わずかにその側面に「源元通」と墨書が看取されます。
 鳴石山八幡神社は、毛利元就の勧請と伝わり、同社の棟札記録によると、粟屋元通が天文2(1533)年に再建、その後元亀2(1571)年に「再建立」されています。従って「源(粟屋)元通」銘が確かであれば、粟屋元通寄進の獅子頭と考えることもできます。

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