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光井山城調査に行ってきました!
光井山城(三塚山とも)の調査に行ってきました!

この調査は、毎月市の広報にて連載している「安芸高田歴史紀行 シリーズ『お城拝見!』」の執筆にともなうものです。

本来なら、毎月市内の城を一つずつ紹介しているのですが、この光井山城があまりにも大規模なため、今回は前・後編で紹介しています。
1月号では城の歴史と概要を、2月号では作成した城の縄張図の掲載とその構造を解説します。
(1月号は、PDFでご覧いただけます。下記のURLを貼り付けてください。)http://www.akitakata.jp/photolib/P06296.pdf

光井山城は、1540年、出雲の尼子氏が毛利氏を攻めた、いわゆる「郡山合戦」の際に尼子軍が築いた陣城です。隣にあり同じく尼子氏の陣城である青山城とあわせて「青光井山城」とも呼ばれています。郡山とは多治比川を挟んで対じしています。

手前右の山が郡山城。真ん中手前が青山城、奥が光井山城

1月3・4日にかけて降った雪がのこり、今回の調査は厳しいものとなりました・・・。

光井山城山頂(2011.12.07調査時撮影)

土橋(2011.12.17調査時撮影)




元就は、尼子軍は3万であったと報告していますが、その数は誇張しているといわれています。しかし、今回の調査で予想以上に光井山城が大規模であることがわかりました。それよりさらに規模が大きい青山城を隣に築いています。しかも陣城はこの二つ以外にも築かれており、尼子軍の勢力と土木技術は相当のものだったと驚かされます。

とにかく延々と続く遺構。しかも今まで報告されていないものが次々と見つかり…、調査に時間がかかっております。
来週また調査に行く予定です!
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