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 天文9年(1540)の郡山合戦の際に、尼子詮久(あきひさ)の軍によって築かれた巨大な陣城です。郡山城に対峙するように築かれたこの2城は谷を挟んで隣合っており、一体的に築かれたことがわかります。4ヶ月間で築かれたと思えないほど、ともに長い尾根上に断続的に多数の郭を連ねた本格的な山城です。翌10年1月13日に大内氏からの援軍である陶隆房の軍が三塚山(光井山)を攻め、詮久の大叔父尼子久幸が討死にするなど大激戦の後、尼子軍は撤退しました。

 

◆名 称
青光井山尼子陣所跡
◆よみがな あおみついやまあまこじんしょあと
◆種 別 史跡

◆場 所

安芸高田市吉田町常友・相合
◆市指定 昭和43年(1968)9月1日

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