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土生氏の祖先は、渡辺義隆といい、足利義教の家臣でしたが、乱を避けて朝鮮に渡り、眼科を修めること7年、帰朝して安芸の土生に居て土生氏と称しました。その子孫が毛利元就に仕えて吉田に移り、眼科を業としました。会下山に土生氏の墓地があります。
土生玄碩は、文化7年(1810)徳川将軍の侍医となり、同13年(1816)法眼に叙せられ、以来眼科医として名声を博しました。文政9年(1826)シーボルト江戸参府の際、同胞万民の病苦を救うため敢て禁を犯して、葵の紋服を与えて薬方の秘伝を受けました。これで我が国の白内障手術は一段と進歩をとげ、日本の実験眼科の祖として世界的に知られて居ます。演劇、講談などの「男の花道」の主人公としても知られています。

 

◆名 称
土生氏墓
◆よみがな はぶしはか
◆種 別 史跡
◆場 所

安芸高田市吉田町吉田

◆市 指 定 昭和46年(1971)2月1日

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