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 有力国人であった宍戸氏は、所領を接する毛利氏と争いが絶えませんでした。しかし当主元源(もとよし)は毛利元就と婚姻関係によって和睦することを決め、孫の隆家に元就の長女が嫁ぎ、同盟関係となりました。以後、宍戸氏は毛利氏一門として重要な存在となります。元源は天文11年(1542)に没し、墓は五龍城の向かいの山、菩提寺理窓院の南東側にあります。

 

◆名 称
宍戸元源の墓
◆よみがな ししどもとよしのはか
◆種 別 史跡
◆場 所 安芸高田市甲田町下甲立
◆市 指 定 昭和44年(1969)4月

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