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吉田与三郎は本名を河野与三郎といい、1670年代(寛文延宝)のころ、災害が続き凶作や疫病で民衆の生活が非常に困窮したとき、救済にのりだした話は「へらほりの池」の美談として有名です。
裏庭に泉水を造るとき、竹べらと直径20cm程度のザルと使って、土を掘り運びました。これは、多くの人と長期に亘る日数をかけて救済する方法でした。泉水は広大な名園で泉水の中に観古亭と呼ばれる亭があり、藩主巡行の時は休息所にあてられたといわれています。吉田町新町に「へらほりの池跡」の碑が建っています。

 

◆名 称
吉田与三郎墓
◆よみがな よしだよさぶろうはか
◆種 別 史跡
◆場 所 安芸高田市吉田町吉田
◆市 指 定 昭和46年(1971)2月1日

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