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 郡山城は、南北朝時代、安芸国吉田庄の地頭頭として定着した毛利氏が、その勢力を拡大していくなかで、一貫して本拠とした山城です。

 

城は、はじめ郡山東南の一支尾根でありましたが、毛利元就(1497〜1571)の時には標高約400m、比高約200mの郡山全山に拡大されました。


城域は、東西約1.1km、南北約0.9kmで、南側の麓には内堀が巡り、城内には270段余の平段や、大通院、洞春寺、常栄寺、満願寺などの寺院も建立されました。

またこの城下には、祇園縄手、家取縄手、たて縄手などの道路が整備されて、三日市、六日市、十日市などの市と町が形成されていました。

 

 

 

 

三の丸下通路の石垣跡

 

 

御蔵屋敷跡

 

 

毛利元就・一族墓所(洞春寺跡)

 

 

(郡山城案内図)

 

 

郡山城跡の麓までのアクセス


○バス  広島バスセンターから吉田出張所行き(約1時間25分)
    安芸高田市役所前下車 徒歩5分
○自動車 中国自動車道「高田インター」から20分
○JR  芸備線向原駅からタクシー20分
   ※向原駅から吉田へのバスは、日曜日・祝日がお休みです。
    平日・土曜日は運行していますが、便数が少ないです。

 

関連リンク

郡山城跡見どころ紹介 ※安芸高田市歴史民俗博物館ホームページ

 

昭和63年2月 共に国史跡として追加指定ならびに名称変更された

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